安倍首相の安直な思考

  安倍首相が訳の分からない思い付きのような発言をした。国家戦略特区を使って獣医学部の新設を加計学園に認めた、という疑惑から目をそらしたい思いからだろう。地域に関係なく、2校でも3校でも意欲のあるところにはどんどん認めていく、と語ったのである。加計学園以外にも獣医学部を認めれば良いのだろう、という発想なのだろうか。

  こうした発想は、安倍さんの改憲発言との類似している。特区を使うということは、先ず試験的に規制緩和し、その効果を検証して全国に広げるかどうか判断する、というものだろう。それなのに、まだ1校目が開校していない段階で、速やかに全国展開を目指したい、などと手続きを無視し、しかも特区を使ったこと、との整合性もない、まさに独善的に決めようというものだ。

  突然の改憲発議の表明も、現状では改憲は難しい、自分の手で改憲したという実績が欲しい、という思いからだろう。それまで党内で議論して作り上げた自民党憲法草案は無視する。公明党や維新の会の賛成を得られそうな項目を取り入れただけの、自作の改憲案を突然言い出した。これも手続き無視、会見草案との整合性なし、で今回と同じ発想なのだろう。

  手続きはどうでも良い。それまでの各種多方面からの検討や議論を踏まえて作成された事などにはお構いなし。自分には関係ないとの立場で、自分のやりたいようにやる、という考えの下で思い通りに決める。これが安倍さんの基本的な考え方のようだ。そこに考えの底の浅さがあるのだろう。

  安倍さんが何事によらず議論が出来ないのも、そこに至る論理の積み重ねがないから、議論をしようにも論拠がない、反論もできない。だから、ひたすら持論を言い続けるか、はぐらかすか、論理をすり替えて相手を攻撃するしかない、のだろう。しかも、そんな自分に気付くこともなく、恥ずかしいことだとも思わないのだろう。国民が期待する長期的な政策課題を持たず、目先のことだけ、自分のやりたいことだけやる。日本の総理大臣としてそれで良いのだろうか

口先だけの総理大臣

  安倍首相は19日、前日の国会閉幕を受けた記者会見で、「指摘があれば都度、説明責任を果たす」と言った。何度か聞いた台詞であるが、やはり実行されないことがはっきりした。自分で発した言葉である。しかし、安倍さんにとっては想定外の、翌20日の文科省からの新文書の発表で、口先だけの、自分の言葉に責任を持たない総理大臣である、ことを証明して見せることになった。

  説明責任を求める野党からの閉会中審査には応じない、と国対委員長に言わせ、官房長官には国会のことは国会で、と言わせた。ならば自分で記者会見でも開いて説明するかと思えば、知らん顔している。ではどういう場で、説明責任を果たそうとしているのか。全くの口から出まかせの、一見反省した風を装っていただけ、ということだろう。野党は憲法の規定に基づき、臨時国会の開催を要求するようだが、期限の定めがないからと開かなかった一昨年と同様、今回も開催するつもりはないようだ。

  一方で、24日には、自分の主張に同調する団体の主催する講演会で、行政がゆがめられたとの批判に対して、時代に対応できない制度なら、その方がゆがんでいる、と全く批判に答えていない、見当違いの反論をし、今後は地域に関係なく獣医学部を新設していく、と何を言っているのか訳の分からないことを言ったという。

  相変わらず、批判されることや反論されることを嫌い、自分に同調するメディアを選んで自分の言いたいことを言っている。しかも、その内容から、はっきりと、自分の口では説明しないということが分かる。自分の言いたいことだけは言い、やりたいことはやりたいようにやる、その一方で批判や反論を恐れ、疑惑の解明には、全く消極的というより徹底して隠蔽しようとする。自身の周囲のみならず自分に異を唱える者は排除し、周囲には同調するもののみを配する。

  国政の最高責任者である総理大臣が、自分の発した言葉を言い放しで守らない、という現実は、総理大臣が日本という国を、いい加減な国にしていく先頭に立っている、ということなのだろう。国政選挙は当分なさそうだから、東京都議会議員選挙で自民党が大敗するとか、自民党内からの異論が出るとかで、現状が少しでも変わることを期待するしかないのだろうか。国民の内閣支持率の大幅な低下、というのが最も安倍さんの恐れるところだとは思うのだが。

総理大臣の空虚な内容の演説

  通常国会の閉会を受けて記者会見した安倍首相。直前の報道各社世論調査での内閣支持率下落を受けてか、会見の冒頭では国会運営についての反省の言葉を口にした。しかし、それは野党に責任があるという前提に拠っていた。

  また、指摘があれば都度、説明責任を果たす、と述べたが、実行されることはないだろう。会見の口調は、一見低姿勢で反省しているように聞こえるが、文字で見ると、相変わらず野党攻撃が中心で、こうなった責任は野党にある、という趣旨である。

  低姿勢風の後は、自慢話と、財源や方法、なぜ、の部分を示さない、検証されることの無い、耳触りの良い、受け狙いの言葉の羅列に終始した。

  いつものように、強引な国会運営の後に、今後は丁寧な説明をすると言いながら、そのような説明を聞いたことがない。しかし、今回はちょっと様子が違ってきた。この言葉が、単に反省を装ったその場限りの言葉であることが実証されそうだ。

  首相会見の直後に加計学園疑惑の追加の文書が文科省から発表された。これは、会見の後の夜のNHKで取り上げられたようであるが、それで、文科省は発表せざるを得なかったのだろう。文科省と萩生田副官房長官の会談記録で、内容も重要事項が含まれている。この文書について、菅官房長官や萩生田副官房長官か全面否定しているが、全く説明になっていない。安倍さんの言う丁寧な説明がどんなものか、どうやって逃げるのか。

  松野文科大臣は、菅さんや萩生田さんから相当脅されたようで、大臣が記者会見で、文書の内容に疑念があるとし萩生田さんに謝罪した。その一方で、問題の義家文科副大臣が萩生田さんに直接謝罪に行ったという。大臣、副大臣が揃って個人に謝罪するなどというのは、見たことも聞いたこともない。萩生田さんは安倍さんの最側近の腹心だから、その逆鱗に触れてしまった、ということなのだろう。これがこの国の未来予想図、ということなのだろう。

後味の悪い国会の閉会

  通常国会が閉会した。安倍政権は最後まで国会をないがしろにし、後味の悪い閉幕となった。この国会を通して、安倍首相の、議論しない、説明しない、検証しない、という姿勢により、国会が機能しない、何とも空虚な場となってしまった。国会は憲法に定められたように、国権の最高機関である。その国会を安倍さんは国民の為ではなく、自分の為に都合の良いように利用してしまった。

  本来、国会は議論や討論によって成り立っている筈である。にもかかわらず、そこで、極力議論にならないように、質問に対しては、はぐらかす、自らの持論を展開する、まともに答えずにすり替えによって逃げる、しかも、反対意見には攻撃するのみ。まともに議論しようとしない。究極は、総理と総裁を二枚舌のように使い分け、答える立場にない、とまで言って逃げてしまう。議論しようにも、その下地となる、知識の欠如からか、逃げるしかないのだろう。これでは国会議員としての資質にも問題ありだろう。

  森友学園疑惑、加計学園疑惑、など、いろいろ疑惑が表面化した。しかし、口では全面否定しながら、これら疑惑の一つとして疑惑を晴らそうとする説明はなされなかった。状況証拠からいえば、黒。しかし、物証は全て安倍官邸側が握っているので、否定するなら文書や証人喚問等、手段は幾らでもあるのに、ひたすら口頭での全面否定しかしなかった。唯一加計学園疑惑は、官邸側の説明に齟齬をきたし、疑惑解明の入り口にたどり着いた感もあったが、国会の閉会を盾に追及から逃げようとしている。

  一方で、今年も骨太の方針なるものが公表された。毎年のように発表される骨太の方針であるが、その方針がどうなったか、検証した結果を見たことがない。安倍首相は、耳触りの良い、国民受けしそうな政策を大々的に公表するが、公表しっぱなしである。期限を切って大見得を切ったものは、さすがに無視できないと見え、達成できなかった、と一応は認める。しかし、何故できなかったか、という分析はほとんどない。政策も言葉遊びのような感じで、自分の言葉に責任を持つという意識がないのだろう。

  安倍政権の国会無視の最たるものは、共謀罪法案である。これは、「中間報告」という形で、目に見える形で国会の審議を放棄したのであるから、民主政治を否定したも同然である。共謀罪法案の内容も問題山積で、今のまま成立させていいわけがない。そんな法案を成立させるために、国会議員でありながら国会での審議放棄に賛成した議員たち。審議放棄までして法律を成立させようとするなど、国会議員にあるまじき行為であり、国会議員の資格はないものと思う。

強権的な安倍政治

  過去の歴代政権が強引に通すには躊躇があった重要法案、特定秘密保護法集団的自衛権の容認に付随する安保法制、そして今国会の共謀罪。これらの法案を安倍内閣は何の躊躇もなく、強行採決で次々と成立させてきた。なぜ過去の政権が躊躇してきたのか、などということは一切無視である。ここに安倍さんの無知と無恥の源泉がある。安倍さんにとっては、自分が決めたことについては数の力で何とでも思い通りになる。国会なんて単なる形式だけのこと、思っているのだろう。そこに国民はどう思うのか、という視点は全く感じられない。

  こうした状況の中、森友学園疑惑、加計学園疑惑が浮上してきた。森友学園は安倍首相の昭恵夫人が関与していたのだろう。加計学園は安倍首相が補佐官を使って動いたのであろう。これらの疑惑に対して、強権的な数の力で徹底して隠蔽し、疑惑そのものがなかったことにしようとした。さすがに加計学園ではいろいろな文書が出てきてしまい、無かったことには出来なくなり、再調査せざるを得なくなった。これから、文書をリークした官僚の犯人捜しが始まるのだろう。すでに国会質疑の中で、逆らう者は許さない、という姿勢を示している。あくまでも疑惑の解明でなく隠蔽の方向に邁進している。ここでも、国民に対して説明する、という基本的なことは欠落している。

  安倍政権の最大の特徴は、安倍首相に見られるように徹底して議論を避ける。自分のや りたいことは誰が何といってもやる、ということであろう。これは国会内だけでなく、国連の特別報告者に対しても同様の対応で、疑問に答えようとしないで、一方的に相手を批判して終わりにしようとしている。この強権的なやり方は何なのだろう。安倍さんは何か大きな勘違いをしているのではないだろうか。多数を持っていれば何をしてもかまわない。極論すれば国会での審議など必要ない、多数を持っているのだから結果は明らか、と思っているのだろう。これではまともな民主的な政治など望むべくもない。

  今の状況が続けば、日本は「民主主義と決別した国」となってしまう。

安倍首相の本音はどこに

  経済財政運営の基本方針(骨太の方針)と成長戦略を閣議決定したという。第2次安倍政権で5回目という。検証もせず毎年のように方針と戦略を作って、何かやっている風を装っているだけ、という感じである。いま日本の経済の状況が客観的にどうなのかはわからない。しかし、諸外国の経済が好調なのに引っ張られて、何もしなくてもそれなりの好調は維持できているのだろう。経済最優先と口では言うものの、その実最優先としているのは特定秘密法など安全保障分野である。安倍首相は最優先という言葉が好きなようで、何かと内閣の最優先課題を連発しているが、最優先課題と言わない安全保障分野が本音なのであろう。

  今年の骨太の方針で、安倍内閣の、というか、安倍首相の本音が見えるような気がする。一つには、昨年まで入っていた19年10月に延期した消費税率の10%への引き上げの文言が消えた。これは消費税はもう一度延期する、という含みなのだろう。20年改正憲法実施の為に、国民投票を、18年秋の衆院選挙か、19年夏参院選挙と同時に実施しようとし、その時に消費税実施の延期を訴える腹積もりなのだろう。前回の参院選でこれで大勝利した成功体験からだろう。また、同日選挙の方が自民党候補の方が得票が多いだろうから、憲法改正賛成票も多くなるだろう、という見込みがあるのだろう。

  もう一つは、財政再建の目標である基礎的財政収支プライマリーバランス)の黒字化の達成が困難になったからだろう、国と地方の債務残高のGDPに占める割合という考え方を持ち出し、これを安定的に引き下げるという新たな表現を加えた。プライマリーバランスの黒字化は国際公約のはずだが、そんなことはお構いなく、おそらく来年の方針では債務残高の対GDP比にすり替えられ、一本化されるのだろう。タガが外れた財政がどうなるか心配である。

  消費税の実施延期と、プライマリーバランスの黒字化の方針変更となれば、将来世代に禍根を残すことは必定である。財政再建は知らん顔し、将来に借金を残しても、目先の自分のことしか考えず、政策を決めてしまって良いわけはない。自分のやりたいことの為には国の将来を犠牲にしてもよい、という感じである。国会運営といい、安倍一強というより安倍独裁という感じのこの頃である。このまま続くとこの国はどうなってしまうのか、不安が増すばかりである。この推定が外れることを願っているのだが。

疑惑解明に背を向ける総理大臣

  もう一度加計学園問題について書いておこうと思う。事態は進展しているのかどうかは分らないが、少なくとも状況は少し変化しているようだ。菅官房長官により怪文書扱いされている文書については、出処も日付も特定できている、何より加計学園問題の進行時の文科省の事務方トップの前川前事務次官が「私が説明を受けた文書である」とその存在を認め、「なかったことにはできない」と言っているのである。しかも、菅さんの人格攻撃にもかかわらず、各種報道機関が調べるほど前川さんの人格の良さが出てきて、菅さんの方が非勢の状況になってきた。それでも菅さんの怪文書扱いは変わらないし、相変わらず人格攻撃も終わらない。

  問題が大きくなり始めたころ、文科省はこれらの文書があるかどうか調べてみる、と言った。そして、調べたが文書の存在は確認できなかったことを明らかにした。調査については、獣医学部を所管する専門教育課の共有フォルダ―にあるかどうかのみで、削除履歴も調査はしていない。また、職員の個別パソコン内やその削除履歴も調べていない、という。その理由については、聞き取り調査で文書の存在が確認できなかったため、としている。更に、行政文書の調査なので、私的なメモについては調査対象外とした、としている。

  これが果たしてまともな調査と言えるのだろうか。しかも、安倍首相、菅官房長官、松野文科大臣が共通して、再三にわたる再調査要請を拒み続けている拠り所、としているのがこの調査なのである。この様な、調査ともいえないような調査にしか頼れないという内実は、ちょっと調べれば一連の文書がぞろぞろ出てくる、ということを意味しているのだろう。口で何十回と「文書はない」「影響を与えたことはない」と言うより、一回のちゃんとした調査で説明のつく話である。

  国会の質疑で、加計学園の名前が出ると異常に興奮するのも、後ろめたさの裏返しなのだろう。小学生の学級会以下のレベルの逃げの答弁、まともに質問に答えず、はぐらかし、自説を主張して時間稼ぎをしている首相。自分や妻が関係していたら、総理大臣どころか議員も辞める、と言ってしまった首相。一旦怪文書扱いしてしまい、あるとは言えなくなってしまった。更に人格攻撃までしてしまい、退けなくなってしまった官房長官。首相には逆らえない文科大臣。今の状況がまともだと思っているのでしょうか。騒ぎが収まるのをじっと待つ政権首脳。現状の独裁体制をみると、やはり日本に民主主義は無理なのかな。そう思うとなんだか悲しくなってくる。