森友学園問題は試金石

  森友学園について、いろいろな問題が出てきている。ひとつには、権力が権力の不正を隠そうとしたら、どこまで権力外からその不正を暴くことができるのか。もうひとつは、マスコミ側がどこまでこの問題を追及できるか。このふたつの疑問にどうこたえるのだろうか。

  先ず、国有地の売却問題だが、売却を決定した経過から、売却価格の決定、売却後の実態に至るまで、誰がどう見ても不自然である。官僚が自分たちの判断でできることではなく、いろいろな方向から政治的圧力がかかっていることは間違いないだろう。国有財産の売却で、これほどまでに売却先に配慮した決定がなされるなんて考えられない。

  もっと不可解なのは、適正な方法で決定されている、と言い張っている政府側の態度である。疑われているのだから、決定過程をきちんと説明し、適正であることを説明すれば済むことなのに、問題ないの一点張りで、何ら説明をしようとせず、この問題の解明に真剣に取り組もうとしない。官僚は議員からの質問に対し、肝心なところになると、例によって文書は廃棄処分にした、と逃げる。委員会の閣僚席でも、当事者である首相、財務大臣はニヤニヤしているし、財務大臣は紋切り型の文書路読み上げ型の答弁しかしない。政府を挙げて、この問題を問題視しない態度に終始しているようだ。

  次に、森友学園の教育方針の問題であるが、右翼思想そのものと言えることだろう。今持っている幼稚園でその教育方針が体現されている。この教育方針の基にあるのは、現首相の思想と軌を一にするものだろう。教育基本法で規定されている教育の中立性ということを、ことある毎に言っていた現政府も、この学校法人については言葉を濁し、国レベルでは判断せず大阪府の対応に委ねると答弁している。教育の中立性とは、幾ら右には寄ってもいいが、少しでも左には寄ってはいけない、という意味らしい。

  この学校の教育思想と現首相の思想との一致性から、森友学園問題は見かけ以上に根が深いと言えるのではないか。政府がこの問題を大きくしたくない、早く終わらせたい、問題視したくないと抑え込んでいるのはここからきているのだろう。この問題は、国会だけでなく、マスコミ各社も突っ込んだ取材をして、政府の逃げ切りを阻止して欲しいものである。報道の自由度が世界各国の中で70何位で、韓国より下位と言われる我が国の報道各社の奮起を期待したいものである。