道徳の時間に教育勅語?

  8日に現職の防衛大臣が、国会参院で堂々と教育勅語を、その精神は今も取り戻すべきと考えている、と擁護する発言をした。おいおい、ちょっと待てよ、である。教育勅語は、1948年に国会で衆院参院共にこれを否定し、決別した筈である。この防衛大臣はこれに先立つ衆院でも、教育勅語を丸覚えさせることに問題があるということはどうなのかと思う。どういう教育をするかは教育機関の自由だ、と発言している。以前から教育勅語を擁護する発言をしていて、それを承知で、或いは、だからこそ、現首相は閣僚として登用し防衛大臣に任じたのであろう。以前にも、当時の現職の文科大臣が教育勅語について擁護する発言をしている。こうしたことを放置しているのであるから、現首相をはじめ内閣として認めている、ということなのだろう。

  何故だろう。国会が教育勅語からの決別を決議したということは、国として決別したということだろう。この内閣は、以前、憲法解釈を勝手に変更し、世界中で戦争が出来るようにしてしまった前歴がある。自分たちの主義主張を通すためなら、国会の決議を無視することぐらい何の痛痒も感じないのだろう。

  こうした内閣が、小学校の道徳の時間の教科化を推し進め、実現させた。では、そこで何をしようと考えているのか。教育勅語を礼賛する内閣が、道徳にその考え方を取り入れようと考えるのは自然の流れだろう。教育勅語の趣旨は、天皇中心の国家観と、その臣民たる国民は、ことあればその身を捧げて皇室国家の為つくせそ、というものであろう。こうした考えは、国民主権、平和主義、基本的人権の尊重という現行憲法の理念と相入れないものである。

  この先、ますます右傾化が進まないように、と思うばかりである。