日米首脳が疑惑の渦中に

  日米の首脳が疑惑の渦中にいるが、その景色は全く異なる。米国では、司法府、立法府、行政府が独立していて、大統領といえども捜査当局の捜査対象になる。しかも今回は司法省からも独立した特別検察官を指名し、そこでの捜査となるようだ。最終的に大統領弾劾まで有り得るという。

  翻って、日本はどうだろう。日本では、行政府の長である首相が内閣人事局を通じて人事を掌握し、人事権を通じて全ての権限を握っている。しかも現安倍内閣は、情報公開にきわめて後ろ向きで、原則情報非公開のような状況になっている。従って、疑惑そのものが外に漏れることは滅多にない。例外的に外に漏れた時の対応はすさまじいものがある。今年の初め頃、安倍さん訪米の手土産として、日本の年金資金を米国のインフラ投資に使おうとした。それが経産省から事前に漏れてしまい実現できなかった。これには官房長官が烈火の如く怒ったと言う。その後経産省は、省内の出入り口に施錠してマスコミ等が室内から締め出し、取材は別室で特定の担当者に限る、としたのである。情報の非公開化である。

  その後南スーダン陸上自衛隊の日報問題が生じ、コンピュタ―内にデータが残っていることが分かった。その時は「戦闘」を「衝突」と言葉の言い換えで何とか誤魔化したのだが、このことで、電子化されたデータはどこに残っているかわからない、ということに気が付いたようだ。

  その後、発生した森友学園問題では、財務省の役人は、データは全て廃棄した、になった。しかも、最初はシステム的に自動的に消去されると言っていた。しかし、後に、そんなシステムはなく、手動で消去していると訂正している。調べる気など当初からないのである。官僚の習性として、データをすべて廃棄してしまうというのは考えられない。調べさせないという意味で廃棄したと言い張っているのだろう。

  今は加計学園問題が新たな火種となっている。新聞にも出た文書の出所等が問題になっているが、これも徹底隠蔽方針は変わっていない。文科省側は、省内で聞き取り調査を行ったが当該文書の存在は確認できなかった、と記者会見まで開いて発表した。これで、調べたくとも何を根拠に何を調べるのか、と言いたいのだろう。調べる気があるなら、第三者による調査をするべきだろう。相変わらず官房長官は出所不明の文書だから調べる必要はない、と言っている。

  疑惑があるなら調べてみる、という基本姿勢がないのである。情報は漏れない様に管理し非公開とする。以前の経産大臣の疑惑を含め、官邸側の疑惑は全て抑え込む。これが基本方針のようだ。疑惑解明に進む米国と、疑惑隠しに進む日本。これが安倍さんがよく使う、価値観を同じくする国同士、なのだろうか。