目的と手段

  上野動物園のパンダの赤ちゃんに香香(シャンシャン)という名前が付いたという。まだ未公開だが、公開されたらぜひ見たい。だが上野動物園にはどうやって行くのか。首都圏の方でも上野動物園に行く方法は何通りかあるだろう。その中から上野動物園に行く為に、自分に合った移動手段を選ぶことになる。目的達成のための手段である。

  近頃はこの目的が曖昧なまま、手段が目的化しているようなことが多い。衆議院議員選挙が近づいて、民進党は空中分解してしまい、その多くが政策も理念も違うはずの希望の党の公認候補として出馬するようだ。自分の目指す社会があり、政策を通して実現する為に政治家になった筈である。それが、政策も理念も違う政党に移って選挙での当選を目指す。当選することが目的になってしまい、何をしたいのかわからくなった。

  一方、自民党が公約を発表したが、本来選挙公約は選挙で勝って実施したい政策。政策実施のために選挙に勝つ、ということの筈である。しかし、これまでの安倍政権下の選挙戦を見てみると、選挙公約はあくまでも選挙に勝つための手段で、勝った後で真剣に取り組んだ様子は見られない。次々と目先を変えた新しい政策は出すものの、前の政策がどうなったか検証された形跡は見られない。最もいい加減なのは、消費税の取り扱いである。公約は選挙の時の国民との約束である。それをいとも簡単に、新しい考え方にした、とか、使途を変えることにした、だから選挙だ、と言われては、選挙公約が選挙に勝つための手段のであり、選挙に勝っても実施するとは限らない。次の選挙の時にはまた考えが変わるかもしれないから、と言っているのと同じだ。

  何のための選挙かわからないまま突入した今回の選挙。こんな選挙の為に何百億円かの税金が使われるかと思うと、腹立たしい限りである。今回の選挙でも危機的国家財政をどうするのか、政策や公約で述べている政党はない。すべて消費税引上げ凍結か、増収となった分を新たな財源が出来た、とばかりにバラマキに使うことばかり考えている。支出を減らすことも真剣に考えず、耳障りのいいことばかり並べていて、本当にこんなことで良いのだろうか。実現したい社会はどうやって実現するのか。どんな将来の立派な夢も、先送りされた借金で無残にも破れることになる。

  今の政治家には夢はあっても具体的な社会像のイメージがないのではないか。目的がはっきりしていないから、目的を達成する為の手段が具体的に出てこない。従って、その手前の段階の、選挙に勝って権力を手にしたい、ということが目的になってしまっているのではないだろうか。選挙に勝ってとりあえず自分のやりたいことをやる。後はどうなろうと自分には関係ない。次世代及び将来世代の諸君、後始末はよろしく、では困るのである。