安倍首相が日本の政治を駄目にしている

  困ったことに、日本は議会制民主主義なのに議論が出来ない、議論をしない人が総理大臣になってしまっている。その結果、国レベルの政治では議論をして物事を進めるということがなくなった。

  安倍さんは、議論の場と思われる場面では相手の言うことには耳を傾けず、自分の言いたいことを言うということに徹している。自説を展開するか、相手を攻撃するか、自慢をするか、では議論にならない。議論をして内容を深めていく、ということが出きないのである。本質的に、自説は絶対、少しの修正もあり得ないと思っているのだろう。

  安倍さん自身が議論が出来ないだけでも十分に困った事態で、何とかしないと日本は駄目になってく。しかし、事態は更に深刻で、安倍さんは各種政策や問題に対し、真剣に掘り下げて議論をさせないようにしている。何とか会議や何とか委員会を幾つも作り、自分に考え方の近い人をその委員に任命し、その会議の答申を受けて、議論をしたという形を作っている。これではまともな議論は行われようがない。

  更に、意見が多岐にわたりそうな問題の対処法は、議論を深めるではなく、当該部署の担当者を、安倍さんの考えにまとめられるような人物に差し替えてしまう、という荒業まで使う。お友達内閣の面々だけでなく、内閣法制局長官日銀総裁、NHK会長に至るまで自分の考えに同じような人物に差し替えてしまっている。更に、長期的に日本経済に影響を与える日銀の政策委員も、任期切れと共に次々と入れ替え、今や議論の多様性は失われてしまっている。

  こうして議論が出来ない総理や、その周辺の議論をしない出来ない環境で作られる政策に、どれだけ期待が持てるのだろうか。しかも、こうして出てきた各種政策等が国会で十分議論されればいいのだが、強権的な議会運営で国会審議の形骸化は甚だしく、実質的な審議は無いも同然の状態。政治に議論は不要、とばかりに、議論が出来ない、議論をしない、議論をさせない、で安倍さんの思い通りの方向には進んでいるのだろうが、こんな政治状況では日本はどんどん駄目になる。

  これら議論のない政治状況は深刻事態に陥っているが、それと同様に後世にも多大な影響がある深刻な問題は、重要な政策についての決定過程を、自分たちに都合が悪いと消してしまうことである。憲法上、従来認めてこなかった集団的自衛権内閣法制局が容認に変わった過程について、おそらく局内で議論をしていないので議事録は作れないのだろうが、国会で追及された時には議事録は作っていない、と答弁した。森友・加計問題の時も重要な文書等は、文書保存規定に無かったから破棄した、とか、審議会議事録は要旨を作っているので、詳細な議事録はない、と平然と言っている。今回の天皇退位についての皇室会議ついても、議事要旨は作るが詳細な議事録は作らない、と当然のごとく言う。

  なぜ政策決定過程の詳細を残そうとしないのか。あの時どういう理由で、どのような議論を経て決定されたのか、後世の歴史検証にはなくてはならないものだろう。例え、徹底した秘密主義で重要なことは隠す、明らかにしない、見せても黒塗りの海苔弁にする、であったとしても、決定過程の詳細な議事録は残しておかなければならないだろう。自分たちは歴史を作っているのだ、という認識が全くない。自分達さえうまく切り抜けられればいいというものではないだろう。歴史に空白を作るようなもので、歴史に対する犯罪行為であるといえよう。