安倍政治の本質は

  国会での議論の場が無いのか、森友・加計事件関連のマスコミの報道がめっきり少なくなった。これを狙っていた安倍政権や与党の思う壺になってきた。このままソーッと幕引きにしてしまえば、内閣支持率も回復し、安倍、麻生の無責任体制はひと安心と見込んでいるのであろう。現代日本の政治史の汚点として残るようなこの事件が、唯の一人も罪に問われるどころか、起訴もされないままに幕引きが図られて良い筈はない。

  元はと言えば、人間としての器の小さな安倍晋三という現職の総理大臣とその奥さんが、そのお友達に対して便宜供与をした、という単純かつ小さな事件であった。しかし、内閣、与党、官僚組織を上げてこの事実を隠そうとした為に、結果として政治史に残るような公文書の改ざんという一大国家的事件になってしまったのである。こうした現職総理大臣が起こした事件を、政治的圧力に抗して司法は裁くことが出来るか。また、どう裁くのか。国権の最高機関である国会はどう対応するのか。この森友・加計両事件は日本の政治体制の民主性を測る尺度であったと思う。こんなことが許される社会が民主主義体制であるはずがない。

  戦後、政治家によるその地位を利用した事件が幾つも起こっている。古くは昭電疑獄、造船疑獄、その後のロッキード事件リクルート事件などである。これらは東京地検特捜部が権力からの圧力にも負けず、政治家の責任を追及し逮捕者まで出し、時の内閣が倒れる事態にまで追い込んでいる。中でも、造船疑獄では与党幹事長の逮捕寸前まで追い込んだ。これは、日本政治史上唯一の指揮権発動という、政治による司法への介入により逮捕が阻止されたのであるが。

  時代的にはリクルート事件辺りまでは、地検特捜部は司法の独立性を体現する存在であり、力を発揮していた。しかし、その後は政治家が小さくなったのか、特捜部の力が弱くなったのか、大きな事件が発覚しなくなった。起こる事件は政治家個人による贈収賄、斡旋利得、便宜供与などの個人的なものばかりである。それでも特捜部は政治家の犯罪摘発に取り組み、成果を上げて権力に対峙してきたように見える。

  しかし、その特捜部も安倍内閣になってからすっかり影をひそめ、存在が忘れられる感があった。そこへ今回の森友事件の発覚である。久々に大阪地検ではあるが特捜部の力の見せ所かと思わせた。大阪地検特捜部の部長は大きな事件の経験が乏しかった。そこで、東京地検特捜部との合同捜査も模索されたようだが、安倍内閣内閣人事局の人事権を盾に検察人事に介入し、法務省事務次官も官邸肝いりの官僚となっていた。これで大阪地検特捜部は動けなくなったようだ。

  人事まで握られた検察が、官邸に抵抗できる筈もなく、その結果がどうなったか。見るも無残な全員不起訴である。日本の政治史上前代未聞の大量の公文書書き換えという事件に対して、訴えられた全員の不起訴という信じられない結論を出した。さすがに後ろめたかったのか、不起訴を発表後に釈明の記者会見を開いた。当然のことながら記者から質問攻めにあったが、回答拒否を繰り返した。当初から不起訴ありきで、不起訴理由を後から探して無理やりこじつけた感が強い。不起訴理由についての説明などまともにできるわけがない。記者会見を開いた、というアリバイ作りをしたに過ぎないだろう。

  当然のことながら、訴えを起こした方々は検察審議会に不起訴処分を不服として審査を申し立てた。検察OBからも疑問の声が上がる今回の不起訴処分の決定は、政治権力の力が司法、取分け特捜部にまで及んでいることを明らかにした事例である。一部の権力者が、人事権を握り、人事をもって政治組織を支配する、という前近代的な政治構造は、一見民主主義のような顔押しているが、最早日本は民主主義の社会ではないことを的確に表している。